冠攣縮性狭心症(体験記)

冠攣縮性狭心症とわかってから10年以上。救急車で運ばれたこと、入院、通院、日々の発作のことなど書き残しています。

4月20日以降の狭心症の話し

いよいよカテーテル検査が始まります
4月20日掲載文からの続きです。



ある朝、気を失うほどつらい思いをして救急車で病院に運ばれ、狭心症であることが確定。そして運び込まれた当日にカテーテル検査も決定しました。今日からはカテーテル検査を行うことが決定してからのことを、ぼちぼちと書いていきます。

カテーテル検査を今日(運び込まれた日)実施することになったというのを聞いたのはまだ救急処置室の中でした。胸の痛みや苦しさはほぼ消えていましたし、頭の膨張感も歯全体のきしみ感も無くなっていました。ただ、相変わらず様々なコードやチューブを付けたままの状況です。自分に今日すぐに検査をすると言ったあと、長いこと現れなかったT先生登場です。あの痛みを一瞬で取ってくれた神様が、今度は意地悪オヤジに見えます(失礼な・・・)。どのように考えても「腕の血管からチューブを入れてそのチューブを心臓まで差し込む」なんて検査、今想像しても寒気が走ります。「ちょっと別の部屋に入ってもらって検査の時間まで待っていてね」とT先生。

はっきりとした記憶ではありませんが、待っていてねと行ったあと20分くらいで数名の看護婦さんが別のベッドを押して現れました。「はい、病室に行きますからこちらのベットに移っていただきます」と自分が寝かされている診察台に横にベットを並べました。点滴のチューブ以外がいったんはずされました。そしてベットとベットの間にステンレス製と思われるぴかぴかの板を渡しました。大きさ的には横幅50cmくらい、縦1mちょうどくらいです。すっかり元気になっていたため、自分で移れる旨伝えましたが、どうしても看護婦さんが移し代えてくれるとのこと、お願いすることになりました。

みごとなまでに「するっ」と新しく用意されたベットに移りました。救急車で運ばれたときはトレーナーにGパン姿だったのですが、今は病院のパジャマです。着てきた服が枕元におかれました。脱がされた靴下は足下にありました。家から持ってきた毛布はベットの横に丸められておいてあります。

処置室から出たときに、家内が横に来てくれました。ベットと一緒に歩いて病室まで。けんかすることがあってもやはり家内の顔を見ると安心します。自分の両親がいたのには驚きましたが。

一般的な病室に向かうのかと思いきや、なんだか雰囲気の違う部屋に格納されました。運ばれてくる間、頭のそばから酸素ボンベががたがた言う音が聞こえてきました。ずっと書き忘れていましたが、処置室に入った時から口に酸素マスクを当てられていました。救急車の中でも酸素マスクをしていましたが、それとは違うようでした。しつこいようですが、この病室、想像していた病室とは何とも雰囲気が違います。